次郎たんの一周忌
君が逝ってから、1年が経ちました
今日3月29日は、次郎たんの命日です。
遺影に大好きな食パンと、お花とお香をお供えしました。
次郎たんが、食パンが大好きだった理由(わけ)
生涯、食パンを見るとクークーと喉を鳴らし、
尾っぽを千切れるほど振ってオネダリしていた次郎たん。
その理由(わけ)は推測できるのです。
次郎たんは迷い犬だったのか、捨て犬だったのか、
富山と岐阜の県境に近い山村をさまよっていました。
1M以上も積雪のある、凍てつく冬のことでした。
我が家の長女が臨時教員をしていた村の小学校に、
次郎たんは辿り着きます。
お腹を空かし、ヨレヨレだったようです。
子供が給食の食パンを与えると、むさぼっていたそうです。
次郎たんには命を繋いだ食パンだったのです。
強烈な記憶が生涯残ったのでしょう。
トボトボと、凍てつく山道を・・・
昼間は廊下の隅などで、蹲っていることができましたが、
放課後には、帰宅の子供の後をトボトボとついて行く。
山村の小学校ゆえ、子供たちは何キロもの山道を通います。
次郎たんは、夜の凍てつく山道をトボトボと学校へ戻って、
雪の中の軒下などで、ひとり蹲(うずくま)っている。
どんなにか寂しくて、寒かったことでしょう!
長女が朝一番に小学校に着いて駐車していると、
積もった雪の中を身をくねらして駆け寄って来て、
長女は我が家で飼ってやるしかない、と思ったのです。
子供たちと話し合い、了解を取ったうえで、
次郎たんは我が家の愛犬になりました。
凍傷で足裏を真っ赤に血に染めていました。
哀しいほどに、頑張って生きていたのです。
次郎たんの命を食パンで支えた子供たちから、
長女が小学校を辞めてからも、
「次郎は元気ですか?」 と便りが何通も届きました。
次郎と命名したのは子供たち。 愛されていたのです。
我が家に来て15年、
父ちゃんとって掛けがいの無い友達でした。
それは楽しい日々でした!
我が家に来た時は、獣医さんの見立てで2才でしたから、
やがて次郎たんは、17才の天寿を迎えます。
辛い病気を何度も乗り越えてきたけど、
とうとう、お別れの時が来るのです。
頑張って生きて、みんなに愛されて、
次郎たん、誇らしい生涯だったよ!、
亡くなる少し前に、父ちゃんの腕の中で
あの時君の命は、父ちゃんを温かく包んで、、
父ちゃんの腕の中でほのかに燃えていました。
そして翌日に、君はお別れをしていきました。
あの時の温もりが、父ちゃん今も忘れられません。
想い出すと涙が落ちそうになるよ。
父ちゃんは、今、病気と闘っています。
いのちを育(はぐく)むことを教えてくれた次郎たん。
がんばって生きるネ。
次郎たんの一周忌に、父ちゃんは想うのでした。
☆
じゃあ、またね
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